saku_readyの雑記

日記とか思ったことを書くよ。

ステーキとトラウマ

皆さん、こんにちは。

SAKUと申します。

 

オリンピックも始まってTV付けたらメダルメダルの日々です。

こんな熱い季節に東京で…。

野外種目の選手の人たちには頭が上がらないというか気を付けてというか。

夜やったほうがいいんじゃないか。生中継で見れる人も増えるだろうしさ。

 

オリンピックの話をしているとこんなブログですら政治の話につながりそうだからもうこの話はやめよう。いや別に政治の話をすることを忌避してるわけじゃないですよ。なんなら子供とかがガンガン話していく社会であってほしい。でも今回の本題はオリンピックも政治の話も関係ないわけ。本題に入ろう本題に。

 

7/29木曜日

僕は営業職なので、客先を回ったりしてお昼ご飯を外で食べることも結構多いんですわ。多いんですわな。デスワナヘルツェゴビナ

最近はもう本当に暑いので、ちょっとスタミナでもつけようと思ってステーキを食べようと思ったんです。人生で一度でいいからステーキを口に思いっきり入れてジャック・ハンマーごっこしたい。スポンサーを募集しています。ナポ…。

一回コンビニに車を留めて近くのステーキ屋で調べると、一キロ圏内に結構出てくる。取引先の立地がステーキ激戦区だったことに驚きながら一番近くにあるステーキ屋に行こうと思い、また車を走らせました。

 

ついたのはそう、「ステーキ宮」。

ステーキを食べるとしたらほぼ「いきなりステーキ」か遊ぶ街にある、ハリーポッターが住んでる部屋のデカい版みたいな立地にあるステーキハウスに行くんですけど、今日はステーキ宮でした。

ちょっと勘違いしていたんですけど、ステーキ宮ってほぼファミレスなのね。

結局食べたのはハンバーグとカットステーキのミックスグリルみたいなプレート。しかし、このプレートがなかなかの曲者でした。

 

ステーキよりも主役はハンバーグだったしね。

「こちらのペレットで中まで火を通してお召し上がりください~」って置かれたペレットは冷めていたしね。ステーキはミチミチの肉汁ゼロだったしハンバーグも結構ボソボソで肉汁ゼロだったしね。

なにこれ?ここだけ油の概念なくなってんの?と思いながら食べていた。そしてかけられていたソールは量が少なくて味がメチャ薄かった。精進ステーキか?コンセプトブレブレかい!と脳内でツッコミながら食べました。

 

こんなに文句たらたらで食べていたわけだけど、実はステーキ宮は僕にとってちょっとした思い出のある店だったりする。

 

僕が小学4年生の頃。夏休み前の7月。

自然あふれる青森県十和田市で生まれ育ったSAKU少年はいつものように飼い犬の散歩をし、晩御飯の時間に家に帰っていた。

親父の方針で夕食は可能な限りみんなで食べることになっていたので自然と会話にも花が咲く。僕や兄たちが喧しく話ていると、親父が神妙な顔で話し始める。

こういうときの親父は何を言い出すかわからないけど、大抵は怒られるので僕たちは緊張し、親父が話し始めるのを待つ。ただ、その時の親父はいつもと様子が変わっていて、少し興奮していたようだった。

親父が話始める。

SAKUもそろそろ10歳か。

僕はその瞬間嫌なことを思い出した。僕の家の謎の風習のことを。

 

僕の家の風習。それは子供が10歳付近になったら、自転車で30㎞程離れた祖父の家に遊びに行くというもの。

なに?子供を伝令兵にしようとしてる?黒田官兵衛じゃないんだぞ。二つも山越えさすな。

17歳位になった時に、そういえばあの儀式は一体なんだったのかと尋ねてみたら、

一回死ぬほど苦痛を味わわせてみたかった」と酒を飲みながら笑って言っていた。

おい!子供の頃の僕に起訴の発想がなくてよかったな!普通にネグレクトだろ。まあ過ぎたことだし別にいいんですけど。

 

ともかく、この予想が当たっていたとしたら大変なことになる。頼むから予想外れてくれと願う僕に親父は続ける。

「今週末、行くか」

最悪だ。予想が当たってしまった。僕はその週末に黒田官兵衛になることが確定した。

ちなみに親父は20㎞程離れている職場に自転車通勤しているおかげで無駄に体力がある。

その親父からすると往復60㎞の自転車などちょっとしたレクリエーションなのだろう。しかし、僕のような外に出るより本が好きなクソ陰の者からすると、60㎞というのは車の移動距離だし、そもそも車で一時間以上かかる距離を自転車で移動するなんて正気の沙汰ではないと思ってしまう。

 

そして地獄の行軍当日。

親父は起きた瞬間からテンションが異常に高く、僕が寝室からリビングに行くと、荷物を最低限に厳選し、バッグに詰めている親父がいた。なんでこんなにテンションが高いんだ。8時だぞ。クスリキメてるのか?

僕が嫌だな~と思っていても準備は着々と進んでいき、遂に出発の時間になってしまった。起きてきた母親と兄に見送られながら自転車にまたがる。散歩と勘違いした犬が駆け寄ってくる。おい、地獄に行くんだで。森鴎外もこんなところで引用されるとは思うまい。

そんな犬を振り切って自転車を漕ぎ出す。後ろでは親父がサザンの愛しのエリーをうたっている。やめてくれ。せめて国道に出るまで待て。

最初の5㎞程は結構余裕だった。余裕をもってこいでいると風が気持ちよく、案外悪くないかもしれない。そんなことを考えつつ自転車を漕ぐ。

その次の10㎞は結構辛かった。山道で上下が続き、立ち漕ぎをする体力もなくなってくる。

まだ道のりは15㎞あるが、さすがの親父も休憩を提案してくれた。山道の途中で林の陰に入り、スポーツドリンクを飲む。今まで出ていくばかりだった水分だったが、ここにきて回復した。ちなみに汗をかきすぎていたので、スポーツドリンクの味はほぼ無くなっていた。

休憩中、ふと親父が昔話を始めた。

「俺は魚が嫌いなんだけど、それが何でかっていうと…」

なんだ?何が始まった?なぜ僕は今親父の好き嫌いを聞かせれているんだ?全く息の整わない僕をよそに親父は続ける。

「俺が子供の時風邪を引いたんだけど、うちはお金がなかったし親父(祖父)が病院嫌いだったから、食べ物で直してたんだ。」

どうせそこで生臭い魚を食べさせられたのかなと思っている僕に親父は続ける。

「で、鯉に栄養があるって聞いてきた親父が、鯉を一匹丸ごと買ってきたんだ。

 砂抜きはされてんだけど、まだ生きてるし、その時点で最悪だった。」

そんな経験をしたら確かに嫌かもしれない。父方の祖母もそんなに料理が上手ではないので、捌くのもそんなにうまくいかなかったのだろう。

しかし、親父の次の言葉は僕の予想を完全に超えていた。

 

「その鯉の生き血を飲まされたんだ」

 

やっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっべ‼‼‼‼‼‼‼‼

なんだその民間療法。聞いたことねえよ。スッポンじゃないんだから。

「その血の匂いが最悪でそこから魚が全般無理になった」

初めて親父に同情した。なんだそのエピソード。育児挑戦中のドラキュラか?

 

そこからの15㎞はまだまだ元気な親父が後ろで応援してくれながら、山を越え30㎞漕ぎ終えた。

そこで親父が連れて行ってくれたのが「ステーキ宮」だ。

汗拭かないでサウナから出てきたんかというくらい汗を滴らせた僕たちがステーキを貪る。思えばステーキを食べたのはあれが初めてだったかもしれない。

あの時も確かランチのステーキを食べたんだが、とても美味しかった。

親父からナイフとフォークの使い方を教えてもらいつつステーキを食べた後は、祖父の家でシャワーを浴び、ひと眠りして体力を回復させ、また30㎞自転車を漕いで家に帰った。さすがの親父も疲れていたのか口数はかなり少なかった。僕はもう体力とかそういうレベルじゃなく、ほぼ幽鬼のように自転車を漕いでいた。

 

そんなことを思い出して食べていてわかったんだけど、あの時めちゃくちゃ美味しかったのは単純に疲れていたからかもしれない。結局、一番のスパイスは空腹だったということだ。

少し子供の頃の思い出が褪せちゃったなと思いながら最後のステーキを口に運ぶ。少しだけレアのステーキは濃い血の味がした。

 

ベギラマ